Monday, 19 December 2016

文化を学ぶ教科としての英語教育-『よくわかる新高校英文法』の解説-


 

文化を学ぶ教科としての英語教育

 

-『よくわかる新高校英文法』の解説-

 
 

1.総論

 
異文化理解ということばが使われるようになって久しいが、そのことばが定着する以前に私はこんなことを考えていた。
 英語教育の中でコミュニカティブな観点が主張されて、何年にもなる。我々としてもこの問題に正面から立ち向かう必要がある。文部省の主張がまさにその観点に立脚しているから、特に重要である。また、多くの若い英語教師が従来の文法を中心とした受験英語に嫌悪感を示し、文部省の主張を安易に受け入れているのも現状である。こう言ったからといって、私自身が従来の教授法を是としているわけではないし、文部省の主張を非としているわけでもない。この点について私見を述べたい。
 英語教育は文化の教育である。その文化とは、古い概念に規定されない文化人類学を基礎としたものである。すなわち、ある民族の生活の総体が文化である。また、英語教育の目標は、国際人としての伝達活動である。ここでいう国際人とは、外国で活躍している人という狭い意味ではない。国際人の一番の特徴は、その人の考えに偏りがないことである。だから、たとえ外国へ一度も行かなくとも国際人でありうる。
  私の考えと文部省の考えとの違いは、次の点である。文化の枠組みの中で伝達の観点をとらえようとする見方は、文部省の考えの中には見られない。この文化としての枠組みに私がこだわるのは、これを破棄するならば、英語教育が国民教育としての立場を完全に失うからである。

  このような英語教育の理念の下に、現実の諸問題をいくつか列挙したい。

1.伝達活動の基礎には常に文化に対する偏りのない見方が必要である。それを教える教材としてはどんなものがよいのであろうか。これまでの教研活動で発掘され広く利用されてきた教材と異質のものだろうか。

2.個別的な「言語活動」の学習を積み重ね総合化することによって、伝達活動となりうるのか。

3.「言語」「言語活動」とのつながりをもう一度とらえ直すなかで、伝達の考えをより強く導入することが可能であろうか。

4.授業における練習や活動を次の連続としてとらえることはできるのか。manipulative controlled creative free communicative

5.英語で授業を進められれば、それで伝達の授業が成立したと考えうるのか。どのような授業が展開されて、その観点からの授業が成立したと言いうるのか。言い換えると、生徒がどのような(精神)活動を行って初めて伝達の観点に立脚した授業ができたと言いうるのか。

6.文化の枠組みの中で、伝達の観点をどう位置付けるべきか。

 

2.教師の英文法研究

 
  日本の英語教師は文法が好きだ。ある程度、これは事実である。そういう私も英文法教師なのかもしれない。でも、そう言われるのは余りうれしいことではない。私の英文法に対する基本的な態度は、「教室ではなるべく文法の説明を少なく、書斎では幅広く奥深く文法を研究しよう」である。
 一昔前と比べると、英文法に時間を割くことも少なくなったし、文法事項もかなり精選されてきたと思う。私などが高校生の頃には、複数形として非常に難しいものまで覚えさせられた。その後、英文を読んでもほとんど出会わないようなものまで含まれていた。そういった種類の文法事項は、今では文法として取り扱わなくなっている。それでよいと思う。
  どんなに精選しても、英文法はなくならない。なくそうという文部省の意図にもかかわらず、大学受験とかかわりのある普通科高校では準教科書として英文法書がまかり通っている。なくす必要などない。これまでとは違った形で、もっと簡潔に要点をつかんで、文法をやればよい。そして、私の主張は、日本語との対比において英文法をやることも有益だということである。
 195070年ころは、いわゆる伝統英文法というよりはむしろ英語学や言語学に学会の中心があった。特に、1970年代前半まで変形生成文法が一世を風靡していた。このため、文法関係の単行本はもちろんのこと文法辞典の面においても、理論言語学や変形文法の領域における辞典が多く出版された。

   『現代英語学辞典』(石橋幸太郎、成美堂、1973
   『新英語学辞典』(大塚高信・中島文雄共編、研究社、1982
   『英語学辞典』(松浪有、池上嘉彦、今井邦彦共編、大修館書店、1983
   『新言語学辞典』(安井稔編、研究社、19752)
   『現代英文法事典』(安井稔編、大修館書店、1987

 4番目のものは、変形文法におけるいろいろな用語や概念を解り易く説明している。5番目のものは、変形文法で問題となってきた文(例えば、John can’t seem to run very fast. John is easy to please. The book reads well.)を解説している。私のように、変形文法を大学できちんと学べなかった者にとっては、両方とも都合のよいものである。しかし、これらのものは現場の英語教育からかなりかけ離れているように思われてならない。変形生成文法が、理論としてどんなに立派なものであったとしても、現場の英語教育に容易に応用できるものではない。変形文法は、外国語教育と直接つながる理論だというのではない。このことは、チョムスキー自身が認めている点である。 変形文法のように理論が先行しすぎると、専門的な用語ばかりで現場教師には理解できない。では、現場で利用できる英文法書としてはどんなものがあるだろう。単に私たちに参考になるというだけでなく、学校英文法を現実の英語に即したものとするようなものがよい。

 A Comprehensive Grammar of the English Language (R. Quirk, S. Greenbaum, G. Leech and J. Svartvick, Longman, 1985)
 Practical English Usage (M. Swan, Oxford University Press, 1980)
 A Practical English Grammar (A. J. Thomson and A.V. Martinet, Oxford University Press, 19803)

この3冊とも、いわゆる伝統文法の領域に属するものである。伝統文法だからといって古いという意味ではない。最新の研究成果に基づいている。ただ、伝統文法というのは、すべての文法項目における記述が1つの理論に従って体系的に述べられているとは限らない。逆にいうと、それだけ現場に必要な多くの情報を提供してくれる。現場どころかチョムスキーら先端の理論家も、基礎資料をクワークらに求めているというのである。
 A Comprehensive Grammar of the English Language を徹底的に学習するのが、私達英語教師にとって一番意義あることのように思われる。ただし、この文法書は大部で最初から最後まで読み通すことはなかなかできない。私自身、全部を読み通してはいない。読み通す必要もないし、不可能かもしれない。伝統文法だといっても記述は細部にわたっているので、難しい。だから、私はこうしている。授業をする中で、疑問が起こってきた文法項目について、まず、Practical English Usage A Practical English Grammar であたってみる。前者は、学習者のおかしやすい誤りを説明するかたちで、いろいろな文法項目について言及している。その説明はきわめて穏健である。後者は、一般的な文法書で、基本的な事柄を確認できる。これらをみて、解決できるような問題であれば、たいした問題ではない。解決できない時には、自分の頭の中で考えながら、A Comprehensive Grammar of the English Language を熟読する。そのような準備作業や問題意識がない限り、この本のすばらしさは解らないし、読み切れない場合が多いのである。

 これまで、私の関心は共時的な問題に集中していた。通時的なものは中学や高校の英語教育とは無縁なものだと信じていた。英語史や古英語や中英語について深く学ぼうという気はなかった。ところが、その信念が少しずつ揺らいできた。私自身の英語教育観が微妙に変化してきたからだ。私の英語教育観は、1つには文化の方向へ、1つには日英比較の方向へ、もう1つは意欲をどう引き出すかの方向に進んできている。このような問題意識の中で、生徒の「なぜ」という疑問つまり知的好奇心を大切にして授業を進めたいという考えを持つようになった。生徒は、あらゆることに対して、私達教師が考えもしないような疑問を持つ。

 ・英語のアルファベットはなぜ26文字ですか?
 I だけがなぜいつも大文字ですか?
 ・複数形はなぜ s(-es) だ付くのですか?
 myself, yourself ならば、なぜ hisself にならないのですか?
 ・否定語が文頭に来ると、なぜ語順の転倒が起こるのですか?
 ・疑問文を作るのに、なぜ語順をかえるのですか?
 ・英語の文の初めは、昔から大文字で書かれていたのですか?

 このような疑問を大事にしようというのである。『学校英語再考/文法・語法編』(若林・伊藤・森住・北市共編、三省堂、1984)はそのような観点から編集された問答集である。これまで、英語教師はこのような質問に対してどう答えてきたのであろうか。「わからない」と良心的に答えた人は少なかったのではないだろうか。「そうなっているから、そうなんだ。そんな下らないことを聞くな。そんなことを考える暇があったら、もっと単語や文を覚えろ。そんなふうだから、お前は英語ができるようにならないのだ。英語は理屈じゃない。」教師のこのように傲慢な態度を、生徒の意欲の観点から問い直してみたいのである。予想される質問に対する答えをできるだけ簡単に説明し、生徒の興味を喚起したい。これらの質問の中には、英語の歴史を辿らないと解らないものもいくつかある。そのために、通時言語学や英語史の知識が必要となってくる。そんな日が来たら、現場教師には必要ないと信じていた OED にもお世話になるかもしれない。語義を歴史的にひも解いていくには、結局、OED をみるしかないからだ。
 

3.日英語の比較を生かした文法指導

 
《英文法のおかれている現状》


  新課程のカリキュラムでは、文法教科書はない。英語I・英語IIという形で総合的に教授せよということのようだ。総合的ということで、コミュニカティブな授業を指向せよというのが文部省の意向であろう。文部省のそのような意図にもかかわらず、大学受験とかかわる普通科高校では準教科書として英文法書が大手を振ってまかり通っている。全国的な状況は正確に把握できないが、本県においては、英文法の準教科書を採用していない普通科高校を探すことは難しい。これは何を意味するのだろう。「普通科高校においては英文法は必要だ」と教師が積極的に考えているのだろうか。必ずしもそうではない。むしろ、本音はこうであろう。「英語の基礎として英文法は大事で、教える側としても教えられる側としても取り組みやすい。まずは英文法で基礎作りをしっかりしておけば、大学受験のための英文解釈や英作文に応用できる力がつく。」こうした意見は昔からあったが、現実に妥協した意見だと思う。このように消極的な姿勢で英文法を教えている教師は少なくないと思う。これに対して、若い教師は疑問や反発を感ずる。しかし、英文法に対抗できるだけのものが見出せず、現実に埋没していく。このような状況下で、英文法をどう考えどう教えるかは決して軽視できない問題である。


《英文法とコミュニカティブな理念》

  コミュニカティブな観点から、英語のみで授業をしている若い教師のほとんどが、英文法に対して嫌悪感を抱き、英文法を蔑視している。彼らの目指しているものと英文法とが、そんなに掛け離れた、時には対立さえするものなのだろうか。
 私の主張はこうである。彼らが懸念しているように、これまでのような英文法の授業では、伝達を旨とする英語教育と対立する可能性が大きい。しかし、次に示すような形での英文法であるならば、彼らの意見と対立する可能性は少なくなると思う。理想的な形で新しい教育英文法が構築されるならば、文法と伝達とは車の両輪として機能するはずである。このため、これまでの英文法観や英文法授業のどこに問題があるのかを明確にすることはきわめて重要である。

 
《文法中心の授業は完璧を望む》

  これまでの英文法授業において、私が最も危険だと思う点は完璧主義である。文法中心の授業を行う英語教師の多くは、完璧主義に陥りやすい。たとえば、こんな問いに対して、彼らはどう答えるだろうか。

  ◎不足する1語を補い、与えられた語を並びかえ、正しい英文を作りなさい。

  彼は大きな木の下で雨宿りをした。
  a , rain , big , found , from , he , tree , the , under

この正解は ‘He found shelter from the rain under a big tree.’ である。次のような答えを書いた生徒は部分点さえもらえない。‘He found shelter under a big tree from the rain.’ この文で英米人に意味は通じないのだろうか。充分に内容は伝達されると思う。コミュニカティブな観点とは、単に言語活動の面だけでなく、このような言語それ自体についても問題にしなければならない。次の4つの文をこの観点から比較してみたらどうだろう。

  He found shelter from the rain under a big tree.
  He found shelter under a big tree from the rain.
  He found shelter under a big tree during the rain.
  He took shelter under a big tree during the rain. 

情報の伝達率といような面における基礎研究は進んでいるとは決していえない。そのような問題に対してある程度の解答が与えられるならば、幾分かは完璧主義も改善されるだろう。

 完璧主義の一番危険な点は、生徒の学習意欲を失わせることである。上記の文を誤答として処理されたことによって、やる気をなくす生徒はいないだろうか。正答と誤答との間に、情報伝達量の差がほとんどないというのであるならば、むしろ、正答として生徒を励ますほうがどれだけよいかわからない。しかし、完璧主義者はそうは考えない、「そんな甘い態度で採点をしていたら、受験戦争には勝てない」と主張する。世界的に見て、日本の英語教育にのみ特異な完璧主義こそが、生徒の言語活動を妨げている。完璧主義をとる教師は、英文を書こうとしないし、生徒にも英文を書かせようとしない。文法偏重の英語教師は、瞹昧模糊とした自己表現に目もくれない。
 これまでの英文法には、このような古い体質が残っている。これらすべてを私は否定したい。この否定の上に新しい教育英文法を構築したい。その目指すものは、現行の英文法とはかなり掛け離れたものとなるだろう。『よくわかる新高校英文法』(三友社出版、1982)はその方向を模索したものである。 しかし、この本とて古い英文法の組織に立脚している面があることは、著者自身が一番強く意識している。新しい英文法に伝達の観点をいかに持ち込むかは今後の問題である。新しい英文法観と英文法教授法が確立されるならば、コミュニカティブな視点で授業を進めようとしている若い先生方の内的矛盾も多少は解消されるだろう。 

《英文法の精選化とは何だ》

 高校英語が総合化されたことによって文法事項は精選化されたのだろうか。確かに、教科書に出てくる文法の量も文法項目の数も減った。だからといって、高校英文法が精選化されたと単純に考えている教師は少ないだろう。精選化とは教科の全体像を損なわない範囲で行われるべきものである。この場合、高校英文法は、その基本までもが骨抜きにされてしまったというのが実状であろう。生徒の立場からいうならば、英語の全体が見通せないのである。どれが重要な点かがわからないので、文法の瑣末な点に注意が向けられてしまう。そして、それを悪い意味において助長させているのが英語教師の完璧主義である。

 生徒はどうしても英語の全体像を見通すことができないのだろうか。母国語の場合においてさえ、言語の全体を把握することは容易でない。ましてや、外国語である英語の場合にはそれが可能なのかという疑問が起こる。可能だと私は信じている。むしろ、外国語だからこそ全体像をつかむ必要があると思う。日本語との対比を通して、日本語と英語とがどんな点において大きく異なるかをつかむことによってのみ、それは可能であろう。次にこの点を念頭に置きながら、文法の基礎項目をどう配列したらよいかについて述べたい。

《英文法の順次性》

 英文法参考書の多くは、例えば「文の理解」というタイトルのもとに、「文の構成と要素」「基本5文型」「文の種類」について言及する。続いて、「品詞の理解」ということで8品詞が整理され、さらに、「準動詞」「態」「時制の一致」「否定構文」「比較構文」などの項目が並ぶ。この配列は、英語の全体像を把握させたいという目標にかなっているのだろうか。例えば、『よくわかる新高校英文法』は、次のように基礎項目を配列した。 

I      文の中心となることばと語順
II     文の要素
III    文を豊かにすることば
       IV     いろいろな種類の文
V      動詞を中心とした表現
VI     名詞を中心とした表現
       VII    動詞に似た働きをするもの
VIII   英語特有の表現
       IX     まとめ‐文のパターン 

 この配列のうちにある順次性の基本理念は一体何であろう。まず、日本語とはなはだしく相違しなおかつ英語文法構造の核となるものをおさえ、次に、その核にいろいろな要素を付け加えるべきである。この基本理念に従うならば、品詞論として8品詞を同列に妥当性のない順序で教えるというのは、間違いだということになる。品詞論の中心は、名詞・動詞・形容詞である。これらの品詞は、ほとんどすべての自然言語に存在する。この事実は、私の考えが正しいことを、間接的ながら証明している。
 この3つのことばの組み合わせによって、意味のかたまりが生まれることを、学習の初期に充分に理解させなければならない。3つのことばの組み合わせは数学的にはいくつか考えられるが、英語構造の中では「名詞+動詞」「形容詞+名詞」のつながりが最も重要である。これらは、イエスペルセンの言語観の中心概念でもある。彼は前者をnexus、後者をjunctionと呼んだ。8品詞を順番に説明する文法は整然とした文法体系のように思われがちであるが、英語の構造に即したものとは到底言えない。このような文法体系では、品詞論と文論とが有機的関連をまったく欠くこととなる。
 英語の文法体系は、上記の3つのことばとこの2つの関係を中心として構成されるべきである。これを体系の中核とし、さらに3つの方向で展開・拡大する必要がある。
 1つは、語順・文型の面で拡大する。いわゆる第1文型から第3文型を前段階として、主述関係と目的語や補語(be動詞の後は補語であるという程度)の概念を大雑把につかまえさせる。次に第4文型と第5文型を細分化して、英語の文形成の多様性を教えるのが後段階である。第5文型は、例えば、次のように細部化して、相互の関連を明らかにしてやる必要がある。 

N + V + N + N3    Jack calls his dog Spot.
N + V + N + A        I found the book interesting.
N + V + N + doing               I saw him running in the park.
N + V + N + do       We felt the house shake.
N + V + N + to do   The doctor advised him to stop smoking. 

 第1の展開が文を単位としたものであるのに対して、第2の展開は意味のかたまりを拡大するものである。名詞・動詞・形容詞の3大品詞に副詞を加え、《語→句→節》と拡大する。この拡大の過程で、冠詞・前置詞・接続詞・助動詞といった品詞が必要となってくる。すなわち、句を作るには前置詞が必要であるし、節ができるには接続詞が必要である。また、この拡大の過程で、進行形・完了形・不定詞・動名詞などの文法概念も生まれてくる。第3の展開は、英語特有の表現である。英語に特有な表現とは次のようなものを指す。天候などを示すitを使った文、There is(are) の文、否定構文、仮定法、話法などである。これらの3つの展開は、それぞれ独自にばらばらに動くのではない。それぞれがある連関をもって体系を築いている。

《文化の一形態のしての英文法》

 すでに多くの人々が指摘しているように、現行の学校英文法は、実際の英語とは切り離されたものとして存在しているような面がある。英文法とは、英米人をはじめとする人たちが話し書く言葉の中に存在する体系である。体系であるために、それ独自で生きているものと考えられやすいが、そうではない。英文法は文化の一形態として人々の生活(文化)の中に存在している。文法は文化の一形態としての体系をもっているが、その体系とは自然科学のそれとは異なる。人間の文化としての制約や制限を受けている。
 英文法を文化の一形態だと定義することは、英文法をこれまでのように静的にとらえてはならないということを意味する。では、文化にみられるダイナミズムは、英文法教育の枠内でいかに反映されるべきであろうか。私としては次の4点が重要だと考えている。

(1) 人間が自然と格闘してきた過程が言語構造に反映している点に特に注目する。
(2) 母国語との対比で外国語をとらえる。
(3) 言葉が話される場面を重視する、もう少し大局的に言うならば、言葉が話されている国の文化に関心を向ける。
(4) 文法の説明や文法の練習問題などに使われる英文は空虚なものであってはならない。 

(1) の点については、幾分抽象的でわかりにくいので、具体例をあげよう。他の点については後述する。人間が自然と格闘してきた過程が言語構造に反映している点は多くはないが、itの用法はその典型的な例である。‘It snows.’(雪が降る)というような表現の中のitは古い英語では使いませんでした。雨を降らすのは神だと古代人は信じていました。「神」だと特に示さなくてもわかるので主語がなかったのです。つまり、古代人は「(神が)雪を降らす」と考えていたのです。しかし、自然現象が神の仕業でないこともわかるようになり、一方では近代英語では必ず主語が必要になり、ほとんど意味をもたないitが使われるようになりました。(『よくわかる新高校英文法』p. 67

 《英文法と日英比較》

 英語を日本語との対比において学ぼうとする場合、最も重要な点は、英語がSVO言語であり日本語がSOV言語であるということである。これは1つの現象というよりは、むしろ1つの原理である。原理であるがゆえに、言語構造や言語現象のあらゆる面にこの対照点が如実に現れている。

         英 語   日本語

E: 前置詞+名詞   J: 名詞+格助詞
E: 接続詞+~   J: ~+接続助詞
E: 名詞+関係詞節   J: 連体修飾語+名詞
E: 助動詞+動詞   J: 動詞+助動詞
E: 数詞+名詞 (three dogs)   J: 名詞+数詞(犬3匹)
E: 比較表現 (taller than Tom)   J: (トムより背が高い)
E: 否定語は前に置かれる   J: 否定語は後ろに置かれる
E: SVが接近しているため両者の語順転換が疑問文の標識となりうる   J: SVが離れているため両者の語順転換が疑問文の標識となりえない


ここから1つの結論が導き出される。上記の点を英文法の中核に置き、それにいろいろな文法項目を付け加えて、英文法を構築し直してみょうということである。

《場面や文化の重視》

 学習英文法書においては、例文や用例がまったく内容のないつまらないものとなっている場合が多い。この点を少しでも克服する必要がある。この努力は、文法をコミュニカティブな観点からみたいとする人たちの考えと軌を一にすると信じたい。すなわち、例文の内容がよいものでなければ、そこに書かれている英文は生徒にとって別世界のものでしかないから、自分で文を書こうという意欲は起きない。

 
『よくわかる新高校英文法』

Never eat berries (that) you do not know well.
Bad habits are hard to break.
Life is too short to be interested in everything.
It is nice to have a companion on the long journey.
You might lose some weight if you took more exercise.

従来からの文法観をもとにする受験参考書

This is a doll (that) she made for herself.
He is easy to please.
He arrived too late to catch the bus.
It is difficult to do the job alone.
If I had enough money I would buy a radio today. 

 また、場面を明確にするために次の点も考慮しなければならない。文法書における例文は1つの文であるべきだという考えが多くの人々の中に無意識的にある。このため、場面が瞹昧になることがよくある。場面をはっきりとさせるために、2つの文で例を示すことも有効である。 

  Far things look small. Near things look large.
  This car is too fast for me. Don’t drive so fast.
  It is winter. There is much snow in the street.
  Stop talking. The curtain is rising.
  The river is frozen. Let’s go skating. 

 もう1つの方法は絵を利用することである。Situational Grammar (M. I. Dubrovin, Moscow, Prosveshcheniye, 1986) は、その点を極限まで追及したものである。この旧ソ連の著作は日本の学習者にとっても非常に有益であるが、同時に、すべての場合や文法項目において絵が有効であるわけではないことをも示している。

 この種の問題に対して、「内容が難しい、文法項目の練習はそうした内容から切り離してやらせるべきで、もう少し簡単な単語で内容を度外視して練習をさせればよい」という意見がある。こうした考えは、決して特殊なものではない。多くの英語教師の心の中に潜んでいるものである。文法を純粋培養的にとらえようとするものである。文法を回りの微生物から隔離し、保護された状態で生徒に触れさせようというのである。言い換えれば、場面(大きくいえば文化)から切り離して文法を考えようとするものである。私の考えでは、英文法は文化という環境の中で考えるべきである。英文法を文化から独立した体系として取り扱うべきではない。文化という総体の中で文法を扱わない限り、それは生徒の知的興味の対象とはなりえない。そして、そこにこそ教育英文法の存在理由がある。この考えに基かない限り、英文法の基礎事項を生徒が学ぶ過程において、学ぶ意欲から生きる意欲への転換はありえない。この意味で、英文法のテキストの中にマザーグースの詩が入っていても決しておかしくはないはずだ。

 例文についても同じことがいえる。少しでも内容のある用例や例文で、文化について考える中で文法を学ぶべきである。英語教育は文化の教育であるから、このような指向は当然のことともいえる。ただし、これまでの英語教育界で「文化」といえば、英米文学の背景や英米の風物が中心であった。それらも大事なものであるが、ここで問題としている「文化」とは、文化人類学的な意味における文化である。この観点から、文化の香りがする用例が欲しいものである。 

Long ago people thought that they could see in the full moon a man walking with his dog. They said he had to live in the moon because he was not a good man.
Japanese girls cover their mouths with their hands when they smile.
To spill the salt is a very bad sign, an omen of disaster in the house. We can avoid this disaster by taking a pinch of the spilt salt and throwing over our left shoulder. (J. Kirkup, British Traditions and Superstitions)
Some people will not start a trip on Friday. (Our Picture Dictionary, 三省堂)

 文法の例文の内容などどうでもよいと考える人は、多くの場合、教材の内容についても無頓着であり、英文法を文化の一形態だと想像すらできない。この意味で、イエスペルセンが英文法書を執筆する際に例文にどれほど注意を払ったかをみることは無意味ではないだろう。有名な The Essentials of English Grammar を書くにあたり、例文に細心の注意を払ったことが次の言葉に窺われる。

   It is not possible in a grammar to do without some examples which are somewhat dull and seem to say nothing apart from the grammatical rule that are selected to illustrate, but it is possible to reduce the number of such examples to a minimum, and fortunately a great many rules can be illustrated by means of sentences which are in themselves interesting and valuable. (『イエスペルセン著作論文選集』千城、p.488

4.ことばの学習の楽しさの復権

 大学生を相手に最近実践したことの一つは、発音および音読の徹底と多読の指導です。私のなかでは両者は直結しています。それは、英語学習の楽しさを取り返したいという思いです。英語がうまく発音できたり、英語で書かれたお話しを辞書なしで読みきったときの感動を私は忘れません。英語を勉強するってこんなに楽しいということを味わって欲しいのです。今回は発音と音読についてのみ書きます。

 次のような流れで半年間の指導をしました。1. 強勢と音調の規則を学び、練習する。2. 演説を暗唱し、大きな声で発表する。3. 心に残る英文を大きな声で読む。この順番に簡単に述べます。

学生と授業をしていて特に気になるのは発音の悪さです。英語を読んだり英語を発するときには強勢や音調に注意しなければなりません。ある意味で個々の単語の発音よりも、形容詞と名詞が並んだときにどちらに強勢をおいて読むかという問題のほうが重要です。英語の強調や音調には規則があります。しかし、私たちはその規則を教えてもらうことはありませんでした。語学教育においては、規則を教えなくとも、充分に音声練習をすればよいと考えられています。中学~高校と充分な音声練習をしたことがなく、音声規則を教えられたこともない状態が続いています。大学に入ってから音声練習というのは本末転倒であることはよくわかっているのですが、語学の1つの楽しみは音と遊ぶことだと考えています。音声練習から音読へと入ります。声を出して英文を読んで欲しいのです。

 この練習と平行して、自宅学習におけるリスニングやリーディングの練習法としてシャドウイングを紹介しました。Shadowing とは、聞こえてくる音声に対してほぼ同時にあるいは一定の間隔をおいて、そのスピードと同じように発音することです。この練習を家庭でも本気になってやれば、英会話の練習にもリスニングの練習にもなります。

 次の段階として演説を暗唱し、なるべく元の演説者に近くなるように練習します。演説としてはキング牧師の I HAVE A DREAM を取り上げました。“I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character.

 強勢の練習と演説の暗唱を通して、英語の読み方(発音の仕方)のこつが分かったら、それが自然にできるようでなければなりません。このため、音読のための教材を独自に用意し、それを家庭で何度も声を出して読んでもらうようにしました。大きな声で読むのですから、なるべく心に残る文章を読ませたいのです。When the rich make war, it’s the poor that die. (Jean-Paul Sartre), He is the happiest, be he king or peasant, who finds peace in his home. (Johan Wolfgang von Goethe) これらの英文は強く読むところと弱く読むところが周期的にあらわれ、心地よいものでなかればなりません。

 大学生にもなってこんなことをやらされると言って拒否する学生も出るのではないかと考えていましたが、学生は私の考える以上に音を出すことを楽しんでくれたように見えました。かっこよく発音できると楽しいし、もっと英語を勉強しようという気になります。そこが私のねらいです。
 さて、後期になって学生の発音は良くなったのでしょうか。目に見えて、いや、耳にわかるほど良くなったとはいえませんが、何かをつかんでくれたと思います。

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