Wednesday, 25 January 2017

堀 達之助 年譜 Chronological Record of Tatsunosuke HORI


堀 達之助 年譜


 


 
A Chronological List of Main Events of the Life of Tatsunosuke Hori (1823 - 1894), Dutch Interpreter and the First Lexicographer of English-Japanese Dictionary


 
西暦 年齢
( )
事   項
文政6
1823
11(or 12)23
蘭通詞・中山作三郎と妻陳との五男として生まれる。
 
 
 
幼少にして蘭通詞・堀儀左衛門政信の養子となって堀家を嗣ぐ。
 
 
 
堀の娘フサと結婚。
天保11
1840 17
 
長男・―郎(政正)生まれる。
弘化1
1844 21
 
次男・孝之生まれる。
弘化2
1845 22
 
小通詞末席に任じられる。浦賀詰を命じられる。
弘化3
1846 23
527
浦賀に米国艦隊来訪。司会長官ジエイムス・ビッドル(Commodore James Biddle) の通商開始の要求に通詞として応対。
弘化4
1847 24
 
小通詞並に昇進。
嘉永3
1850 27
33
妻フサ没、行年29
嘉永6
1853 30
63
浦賀にて、米国艦隊来訪司会長官ペリー提督 (Commodore Matthew Calbrath Perry) と幕府側の首席通詞として応対。
アメリカ側通訳のオランダ人アントン・ポートマン(Anton L.C.Portman後に駐日米国代理公使)を介しオランダ語で交渉。
 
 
612
ペリー艦隊が日本を去るまで、多くの通弁と外交文書の翻訳に奮闘。
嘉永7
1854 31
116
ペリーの艦隊が再び来訪、達之助は次席通詞として応対。
主として外交文書の翻訳に従事。
この年、下田の開港に伴い、下田詰を命ぜらる。
安政2
1855 32
1
アメリカ合衆国大統領フランク・ピールスの使節として海軍中佐アダムスが来日、達之助は日本側通詞の代表として応対。
日本亜米利加合衆国和親条約批准に関する外交文書を翻訳。
 
 
2
下田を訪れたたロシア国使節プチャーチンよりの文書を翻訳。
 
 
5月 
来国商船グレク号(ドイツ船籍)下田に人港。船長タウロフ及び来商人ルュドルフ(ドイツ人)をアメリカ人として受け入れる。
 
 
623
商人ルュドルフ及びグレタ号船長タウロフからの日独通交要請書簡を預かるが、奉行に提出しなかった。
これが達之助の失脚につながり、5年の刑を宣告される。
 
 
94
江戸小伝馬町の獄に人牢。
安政3
1856 33
 
在獄。
安政4
1857 34
 
在獄。
安政5
1858 35
 
在獄。
安政6
1859 36
79
吉田松陰が江戸獄の西奥揚屋に人牢して来た。松陰としては二度目の江戸獄。当時、達之助は、同じ江戸獄の東口揚屋の牢名主であった。獄中よりの松陰書簡のなかに、しばしば達之助のことが記される。
 
 
1117
蕃書調所頭取・古賀謹―郎の尽力により、刑期の満了を待たず達之助は赦免、釈放。
 
 
127
蕃書調所の翻訳方に採用される。
また『英和対訳袖珍辞書』の編集主任に任ぜられる。
万延1
1860 37
 
蕃書調所よリ Familiar Method for Those Who Began to Learn the English Language を出版するが、達之助はその序文を書く。
 
 
113
蕃書調所の教授手伝に任ぜられる。
文久1
1861 38
 
蕃書調所の教授方に昇進。
 
 
 
長男の政正(21歳)は、英語小通詞末席に任ぜられる。
 
 
12
長男改正は外国奉行水野筑後守の小笠原巡視に随行する。
 
 
 
堀達之助ら蕃書調所の翻訳方によって、バタビヤ発行のオランダ新聞を翻訳した官板バタビヤ新聞が発行される。
文久2
1862 39
1
官板海外新聞と改題。
 
 
8
洋書調所から堀達之助を編集主任とする『英和対訳袖珍辞書』初版200部が刊行される。協力者は、西周助、千村五郎、竹原勇之助、箕作貞―郎(鱗祥)。
 
 
 
 
 
12
開成所の教授に就任。
文久3
1863 40
9
薩摩藩の五代才助、寺島宗則、森有礼等19名が幕府の禁令をおかし英国留学のため密かに出発。
慶応1
1865 42
222
薩摩藩士五代才助(友厚)らの英国行に、次男・堀孝之が通訳者として同行。
 
 
3
達之助は開成所教授職のまま、箱館奉行所通詞の兼務を命ぜられる。
 
 
6
運上所(現在の税関)構内で開いた英語稽古所で後輩通詞の教育にもあたる。
 
 
 
次男・孝之はヨーロッパより帰国し、薩摩藩の船奉行見習に任ぜられる。
慶応2
1866 43
3
次男・孝之、パリ万国博覧会への薩摩藩使節に同行。
 
 
11
明治新政府の北海道箱館(現在の函館)裁判所文式学校掛に任命される。
 
 
 
英語通詞の育成にあたる。また、「函館文庫」を作り箱館奉行所の洋書の保存に努める。
明治1
1868 45
 
二等訳官に任ぜられる。
明治2
1869 46
3
開拓使権大主典に任ぜられる。
 
 
 
このころ、豪商・柳田藤吉が函館に作った「北門社郷塾」および開拓使立函館学校の英語教師も務める。
明治3
1870 47
3
開拓使大主典に任ぜられる。
 
 
7
―等訳官に任ぜられる。
明治5
1872 49
3
後妻の美也没する。
 
 
617
依願退職し故郷の長崎に戻る。二通の建言書を提出。
 
 
10
退官後は達五と改名、表立った活動はない。
明治27
1894 71
 
大阪の次男・堀孝之方で病没。
明治32
1899
315
長崎市鍛冶屋町の大音寺に改葬。

 

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